「水晶の館」・クリスタル パレスへようこそ!!

このホームページに初めて来られた方、インターネット通販が初めての方の不安を少しでも取り除くことが出来たら幸いです。

ほとんど文字だけの軽いページです。どうぞお読みください。

ブラジル宝石鉱石有限会社・・・・・
名前もストレート過ぎてずいぶん怪しい会社???

これは平成10年9月に大きな水晶をお買上いただいた方が、最初に私のホームページに来られた時の第一印象だったそうです。

世の中には色々な受け方をする人がいるものだ、と軽く感じた反面、私のつけた会社の名前がこのような印象を与える事もあるのか、と少なからず心配になった事は事実です。

その後、インターネットで「悪徳商法」というホームページを見ました。そしてインターネット通販のホームページもたくさん見ました。 それらのホームページでインターネット通販を利用される方が、ご注文をされる時、リスクというか、非常に不安になるという記事をたくさん見ました。

送金はしたが、ものは送ってこない。問合わせのメールに返事はこない。電話をかけても応答がない。そのうちHPも無くなってしまった。等など、、、

このような事実がある以上、インターネット通販の販売側が、住所、会社名、電話番号、E−Mailアドレス、会社概要、代表者について、はっきり明示する義務がある、そしてそれをする事で100%とまでは言えないまでも、いくらかでもご利用なされる方の不安、心配事を軽減できるのではないかと思いました。

私のホームページの各商品ページには最初の4項目は、はっきり明示してございます。 その上、訪問販売法にもとずく法規表示をいたしております。

そして法規表示をするだけでなく、ご購入になるお客様のリスク、ご心配事を 0(ゼロ)にするために、1999年1月より、 すべての商品を、代金あと払い、送金手数料無料 にいたしました。(高額商品は除く)

最初にご希望の商品をお手元にお送りしてご覧いただき、そしてご満足いただけたらご送金いただくという、お客様にとりまして100%安心していただける販売方法ではないかと思います。

そのうえで補足になるように、会社概略と私について書いてみます。 もちろん皆様に私のハンサム(???)な顔写真(^.^)はお邪魔でしょうから、それだけは遠慮させていただきますが。

疑問な点、お知りなりたいことがございましたら、どうぞご遠慮なくお問い合わせください。そしてこのホームページに関する皆様の感想、ご要望などもE−Mailでお寄せいただければ幸いです。


ブラジル宝石鉱石有限会社 代表 加藤 武

決して怪しい会社ではありません。

設立平成7年4月11日、資本金300万円。その後、増資して現在の資本金は420万円。

社名はブラジルの天然宝石・鉱石を輸入して販売するという、それこそストレートに何をする会社であるか、どなたにもはっきりわかるようにとの理由でつけました。

現在は鉱石のみを扱っておりますが、ゆくゆくはブラジルで産出するたくさんのカラー宝石も扱ってみたいという夢をもっております。

スタートするに当たって、輸入がからみますので法人にしたほうが税関に対してベターとの通関業者の方のご提案をいただき、有限会社で登記しました。

インターネット通販は平成9年1月から始めました。最初の2ヶ月は全然オーダー無し、3月から少しずつオーダーをいただくようになり、その後今迄、北は北海道札幌から南は沖縄県宮古島まで、多くの方にご購入いただいております。

これからも皆様に喜んでもらえる通販店、そしてそれこそ日本一の水晶のお店になるよう努めてまいります。

平成10年7月に神奈川県横須賀市から、日本の水晶の故郷、山梨県の、ここ山中湖に出店し、お店の名前を「水晶の舘」と名付けました。

山中湖に観光にこられる方への販売と、今迄通りインターネット通販を続けています。

日本全国の多くのお客様のお陰様で、「水晶の館」ホームページがスペース的に目一杯になってしまいました。

そのため姉妹館としてこのクリスタル パレスのホームページを立ち上げました。

このホームページは独自のドメインでございますし、ホームページスペースの問題もございませんので、より良い水晶の画像をご覧いただけるのではないかと思っております。
ゆくゆくはこの「クリスタル パレス」ホームページはカタログ専用に、そして「水晶の館」ホームページは水晶に関する色々な情報のページにしていこうと思っております。

似顔絵” BORDER= 当ホームページのオーナー

加藤 武、昭和18年(1943年)9月生れ、羊年、Virgoです。

前職はコンピューターエンジニア、1962年東京オリンピックの2年前にアメリカのコンピューターメーカー、 I 社の技術部に入社しました。
丁度トランジスターを使ったコンピューターが出始めたころです。

アメリカの会社に入ったのだから、絶対アメリカへ行く、という目標をたて、夜、仕事が終わった後、英会話学校に一生懸命通いました。

最初のアメリカ

1970年に念願かなって、初めてアメリカ、ニューヨーク州の小さな田舎町に超大型コンピューターシステムの勉強にいきました。
まだ1ドル360円の時代で、日本経済が少しずつ上向きになっていたころです。

JALの当時の花形機 DC8型機で飛びました。スチュワーデスさんがとても親切で、サンフランシスコからニューヨークへ飛ぶ間、座席まで来てくれてアメリカの地図を広げ、「只今、当機はここを飛んでおります。」と説明してくれました。のどかな良き時代でした。

ニューヨークのJ.F.ケネデイ空港からタクシーにのってマンハッタンへ。高速道路、そして橋、海底トンネルの大きさにビックリ、当時東京には都心から羽田空港までの高速道路が一本しかありませんでした。

「なんで日本はこんな国と戦争をしたんだろう?勝てるわけないヨ!」というのが実感でした。

最初の晩から、東京の英会話学校で勉強した私の英会話は全然通じず、ショックを受けました。

研修センターでアメリカ人のインストラクターと握手、その手の大きさにビックリ。

講義は90%解りませんでした、というより講義の英語が90%解りませんでした。
講義資料を下宿に持ってかえって夜、自習しました。

最初のアメリカはビックリしたのと、自分の英語力にがっかりした旅行になりました。
でも、違う世界を見れてよかった!!

東京へ帰ってから、以前よりもっと真剣に英会話の勉強をしました。この次こそは、の思いをこめて、

二度目のアメリカ

2年後(1972年)にまた新しいシステムの勉強のため、同じ所へ行きました。
今度の講義は90%わかりました。
こうなると勉強の為の旅行は楽しいものです。小旅行に、ゴルフにアメリカでの生活をエンジョイしました。

この旅行で自信をつけました。語学の面でも技術の面でも、世界で通用するのではないかと。
たった一度しかない人生、自分のしたい様に行くしかないと思い、外国で生活してみようと、、、
ただ、冒険であってはいけない、しっかり準備しなくては。

ブラジルへ移住

1975年3月、日本から同じ会社のブラジル現地法人へ転勤という形でブラジルへ移住しました。

羽田からロスアンジェルス、ペルーのリマ経由でブラジル、リオデジャネイロに到着。約28時間におよぶロングフライト、この28時間の間に夜が2回過ぎて、機内食が5回出てきました。もちろん最後はなにも食べられずです。

ブラジルの言語はポルトガル語です。私はSim(Yes)、Nao(No)しか知らないでブラジルへ来ました。

サンパウロに居をかまえ、毎朝ポルトガル語の学校へ行って会話の勉強をし、その後仕事をするという生活を10ヶ月続けました。仕事はとりあえず英語で始めました。

このようにブラジルでの生活がスタートしました。日本の25倍という大きな国土、1憶5千万人という大きな人口、発展する要素はたくさんありました。

しかし2度のオイルショックの影響も出始めていました。でも当時はまだ今の中国と同じように年率10%前後の経済成長をつずけていた後進国中の優等生でした。

仕事では日本以上の色々なチャンスがあり、毎年アメリカ、カナダへ新しいシステムの勉強、開発に行ってブラジルへ帰ってブラジル人のエンジニアを教育し、どこかで問題が起こるとすぐ飛行機に乗ってかけつける、という生活で、広いブラジルの北から南までほとんど歩きました。

一度問題解決のためアルゼンチンのブエノスアイレスまでも行ったこともありました。

ブラジル人は非常に心の暖かい人種です。家族、友達(アミーゴ)をとても大事にします。

そしてブラジルの女性はもう、世界一美しい(Linda)、当時、日本では山本リンダさんが大人気、リンダという意味はポルトガル語で「美しい娘」、という事がわかったのもこの頃です。

ブラジルの食事はヨーロッパ系の移民が多い為、とてもおいしく、また世界中からの移民で成り立っている国ですので、世界中の食べ物があり、これも最高。お酒も地酒からウイスキー、ウオッカまで。音楽はサンバからボサノバと,これも言う事なし。


女性がきれいで、食べ物がおいしくて、よい音楽とよいお酒、これで文句をいったらバチがあたりますね?

でもこの話はこの辺にしておきましょう。

時は流れて、

サラリーマンは死ぬまで続けることは出来ません。早かれ遅かれ、いつかは会社を去らなければならない宿命です。

1994年末、日本とブラジルで通算32年勤めた I 社を退職しました。
そしていつか機会があったら、と思っていた事を実現してみようと思いました。

日本も知っている、そしてブラジルも良く知っている、だから日本とブラジルにまたがったことが出来ればとの事で、ブラジルが誇れるもの、天然鉱石を日本で販売してみよう、と思いました。これを第二の仕事にしょうと、

以前から宝石鉱石には興味があり、日本へ休暇で帰ってきた時、宝石・鉱石の本を買って読んでおりました。

退職を機会に正式に勉強してみようと、サンパウロのブラジル宝石鉱石学会というところで、宝石・鉱石の基礎、鑑別、研磨、そしてビジネスとすべてのコースをとりました。

そして頭のなかに基礎知識を入れて、その後奥地の実際に採掘しているところで、実地のビジネスを見てきました。それらの採掘地で友達もたくさん作ってきました。

そして1995年末、日本へ帰ってきて今の仕事を始めました。
第二の仕事として、そして自分の好きな事、一生懸命打ち込める事として。

この仕事を続けていくに当たって、

この仕事を始めてからの私の経験では、天然水晶・鉱石をお求めになる方の購入目的は様々です。

  • 鉱石・鉱物がお好きで、そのコレクションとして

  • 置き物、装美石、装飾品として

  • 悩み事やストレス解消のヒーリング・グッズとして

  • 「幸運」、「開運」などをもたらしてくれる護符(お守り)として

  • 「鬼門封じ」や「殺」を避けるための風水グッズとして

  • 宗教上の行事、理由で

  • 占いのToolとして

    私は先述しましたように、ブラジル宝石鉱石学会で鉱石・鉱物(Mineral)として勉強しました。
    その為、最初の私のホームページは鉱物・鉱石の情報だけで作られました。

    ところがご購入なされるお客様の購入目的が上記のように、様々な目的であることを知りまして、 少しでも皆様のお役に立てるようなホームページにしていこう、という事で鉱石・鉱物以外の情報も取り入れ、現在にいたっております。

    この仕事に対して次のようなスタンス、コンセプトを持っております。
  • インターネット通販の販売する方が当然守らなければならない事、商品到着後8日以内のクーリングオフ、気に入らなかった場合の返品、不良品の交換、すべてO.K. です。
    私はお客様を100%信用いたしますし、もし問題がある時、訪問販売法(通信販売も含む)で決められた以上の応対でお客様にご満足いただけるようにしてきましたし、これからもしてまいります。

  • 水晶・鉱石がよく利用される「霊感商法」は絶対にしません。私自身があるお店に水晶を販売目的で訪問した時、あやうく逆に、私がそのお店の水晶を法外な価格で買わされそうになりました。
    そこで霊感商法というものを初めて目にしました。恐ろしい商法です。

  • 誇大広告はしません。「この石を買ったら宝くじに当たる」、「恋人がすぐみつかる」等という事はしません。

  • 皆様に参考になる事、夢をもてるような事は続けていきます。
    特にヒーリング、風水、占いと水晶の関係について、私自身興味をもっておりますし、もっと勉強してみたいと思っております。

  • 様々な目的で水晶・鉱石をお求めの方に良い物を提供できるよう努めてまいります。

  • そしてなにより、インターネット通販だから出来る事、例え顔は見えなくともメールの交換で納得いくまでご説明も出来ますし、また普通のお店に出来ないご相談にものれることが多々あると思います。

  • お客様とインターネットを通じて、本当の友達になれるような誠実で、そして気楽なお店作りをしていきます。

  • 何ゆえ、20年間も日本語を使わない生活をしてきました。 私の日本語も、大分錆びているのではないかと思います。 言葉使いの誤り、拙文はお許しください。

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